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卒業が目の前の今したい言葉それぞれ

僕は自分自身この4年間USCでの人生が本当に意味があったかまず質問したい。というのは、日本語以外のクラスにはあまりいい成績が取れなかったことだ。本をちゃんと読まなければいけない上に、しっかりと作文に進まなければならない歴史の専攻なのに、全く集中しなかった僕は一体何をしていたのか。それに、特徴がない専攻をとって就職しにくい状態になった僕は、他の人と比べてどんなメリットがあるか聞きたい。 とにかく、卒業後に仕事探しに専念したら、その後も大変だ。就職した時点から新しいスタートになり、もっと上の段階に進むように頑張らなければならない。人としての人生って、輪のように同じスタートを振り返すことだ。それで前にだんだんと進むシステムだ。まだ同じスタートだけど、それは新しい出発だ。人生の輪を回し続くと、いつか目的地に届いた自分が見えるだろう。 頑張れ、僕。

車がないと困る国

 私が韓国からアメリカに引っ越しをして衝撃を受けた部分は、間違いなく車に頼らないと普通の生活は考えられない社会という点だろう。まずこれの第一の理由は、マーケットのような重要な施設が家から遠く離れていることだ。韓国では車がなくても近くにあるコンビニや商店で買い物ができたり、近所の飲食店で食事ができたりするので歩いても問題なかった。これに対してアメリカでは、住宅街から商店や飲食店に徒歩で行くと何十分もかかるほど長い距離があった。コンビニもたいてい離れているガソリンスタンドと一緒にある場合が多くて届きにくくてあまり利用しなかった。学校に登校するときにも図書館で勉強するときにも、車なしでは考えられなかった。   続 いての理由は便利で細かい公共交通機関の不在だ。ニューヨークやワシントン DC と違って、ロサンゼルスとラスベガスには全ての市内を細かくカバーする公共交通が少ない。駅とバス停から遠くて電車やバスで行ける場所が少ないし、路線が近くに走ってもバスも電車も両方時間を守らない場合が多かった。アメリカはクレジットカード決済が普通なのに、バスに乗ると現金で払う場合が多い。交通カードを使ってもいいけど、お金をチャージする場所や方法をメトロ機関が易しく教えてくれない。

ガーベージプレートの作り方

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紹介したい作り方は、このガーベージプレートという料理の作り方だ。 物の作り方を書こうと思った後、「食べ物でも大丈夫かな」と思った。ということで、ニューヨーク州のロチェスターの地元料理であるガーベージプレートの作り方を書こうと決めた。ガーベージプレートは、マカロニサラダとフライドポテトの上に、焼いたソーセージやチーズバーガーをなどの様々な肉料理を乗せて、ミートソースとケチャップやマスタードを加えて楽しむ料理である。 作り方はこの映像を参考にした。 1.玉ねぎを油で炒めて出した鉄板の上に、牛肉のひき肉をパリパリになるまで焼く。肉がきつね色に焦げるまで混ぜながら焼く。 2.すべての肉が焼きあがったら、トマトペーストを入れて、丁子、シナモン、オールスパイス、トウガラシ、クミン、パプリカ粉、ニンジン粉を少しずつ入れて、中火で混ぜる。 3.1.で焼いた玉ねぎを入れ混ぜたあと、水を入れてすべての焼いたものを取る。 4.塩と胡椒で味付けをして、ミートソースが完成。 5.ジャガイモをさいの目に刻む。水と酢と塩を少しずつ入れて5分間ゆでる。 6.ゆでたジャガイモを冷やした後、バターと植物油を入れたパンで4分間パリパリとなるまで焼く。 7.焼いたジャガイモから油を取り除いて、塩とパプリカ粉と唐辛子で味付けをして、フライドポテトが完成。 8.ゆでたマカロニを細かく切ったニンジン、セロリ、玉ねぎ、パセリ、ペッパデュー唐辛子と混ぜて、ニンニク粉と塩と胡椒で味付けをする。 9.マヨネーズとサワークリーム、マスタードを大さじ一杯入れ混ぜたら、マカロニサラダが完成。 10.7.のフライドポテトと9.のマカロニサラダを半分ずつプレートの上に乗せて、焼いたソーセージやチーズバーガー(パンなしで)をその上にのせる。 11.4.のミートソースをかけて、ケチャップとマスタードをかけたら「ガーベージプレート」が完成。

津軽漆器(つがるしっき)

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津軽漆器は漆(Poison Oak)という木から取った塗料(ペイント)を、木でできた器に塗った青森の伝統工芸品だ。今の青森県の西に当たる弘前藩の主である津軽信政が、1646年に福井から塗師を雇用したことから始まった。信政はそれから新しい漆の開発への支援に専念し、当時には珍しいパターンの塗りを作ることに成功した。この「唐塗り」と言うパターンを塗った器や道具の津軽漆器は、大名と公家の間に人気を得た。1975年には経済産業大臣指定伝統的工芸品と選ばれ、青森唯一の政府が選んだ伝統工芸品となった。 津軽漆器のこの独特なパターンの塗料を「唐塗り」と呼ぶ。

カレーライス

インドの料理を元にしたイギリス料理であるカレーが、20世紀初で日本に紹介されてさらに変化した料理がカレーライスだ。19世紀末、一万円札の人物である福沢諭吉初めて言及したカレーは、調理法と料理が明治維新後の近代化中の日本の世間で注目された。カレーライスの食材としてよく使われるジャガイモ、ニンジン、玉ねぎが北海道で大量生産され前には作りにくくて、コーヒーの値段を何倍も上回る値段がとても高い料理だった。だが、材料を個体にしたインスタントカレーが開発されたり、西洋料理店がふえたりして、カレーの人気はますます高くなった。インスタントカレーを作るときによく使われる、チョコレートみたいにブロックづつで割れるカレーのルーはこの時期に作られた。一方、当時一番庶民的な外食店の蕎麦屋がカレーをカレーそばやカレー丼として売り始めて、大衆的に好かれる国民食になった。学校の給食にも人気があるカレーライスは、南アジアからの人たちが本格的なカレーを紹介したり、金沢カレーなどのバリエーションが作られたりして、今にも進化を進めている。

サムギョプサルについて

  私は、サムギョプサルについて発表したいと思います。なぜかというと、自国の人々にとって愛されている食べ物の一つであるからです。この料理がどうやって始めたか、どのように変わったか、そして韓国人にとってどのような食べ物なのか紹介しようと思います。  サムギョプサルは、厚く切った豚のバラ肉を味付けなしで鉄板の上に焼いた後、様々な野菜と調味料と食べる焼き肉です。主にごま油と塩を混ぜたソースに付けたり、サンチュというレタスでニンニクと味付け味噌を一緒に巻き込んたりして楽しめます。元々豚肉より牛肉を好んだ韓国でしたが、 1970 年代政府が国民の豚肉の消費を進め、豚肉の値段が安くなり人気を集めました。その中、豚肉の中にも安い部分である腹肉が、サムギョプサルという大衆的な料理になりました。最近は豚バラ肉を薄く切った「鉋サムギョプサル」や、ハーブやワインで味付けられたサムギョプサルが最近の若者たちに好かれています。  サムギョプサルは韓国人にとってプルコギと並ぶ焼き肉料理で、庶民的な感じが溢れているなじみ深い料理です。終業後の会社の会食から、家庭の家族の晩御飯まで、それぞれの人たちを幸せにする所が素晴らしい食べ物だと思います。まるで、国民が深く愛しているソウルフードでしょう。

好きな人物

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私が好きな歴史上の人物は、政治家も科学者も冒険者も活動家も作家も選手もない。だって、最近はバラエティーが好きで文化の歴史に大きい影響を与えた芸能人しか頭に浮かんでないからだ。様々な過去の芸能人の中で、一番印象に残った人は、坂本九だと思う。 九さんの素敵な笑顔。 43歳という若い時に、飛行機墜落事故で亡くなった九さんだが、彼が残した遺産は大きい。成功的なデビューからの1年後、「上を向いて歩こう」という名曲を歌いだした。何年後アメリカに「SUKIYAKI」というタイトルで紹介されたこの曲は、週刊ビルボードチャートで3週間一位を獲得した。アジア人アーティストによる曲としては初になり、世界でよく知られている有名な日本の曲の一つになった。様々な外国のアーティストにアレンジされたり、東京五輪や大阪国際博覧会などの国際的なイベントで歌われたりして、全世界に人気が広がった。事故で帰らぬ人になる前、九さんは歌番組以外にも、バラエティーで活躍をつづけた。「見上げてごらん夜の星を」や「明日があるさ」などの他のヒット曲を出した九さんは、日本の大衆文化に大きい影響を与えたと言えるだろう。